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2006-01-25

多聴・シャドーイング

シャドウイングとわたし

シャドウイング続いてます。
最近、記録が曖昧になり、ちゃんとは分からないのですが7時間を超えたくらい。
ここら辺で、忘れないよう、今の気持ちを書いておこうと思います。

よく自分の声が寒いとか、脳内に響く声に鳥肌が立つとか、
シャドウイングの悪口(?)ばかり言ってますが、シャドウイング好きです。

わたしにとってシャドウイングは、繰り返す内容の理解度は問題外!と
思うようになったからです。

例えば、多読でも、リスニングでも、聞き読み(LR)でも理解度がついてまわる。
これは他人と読み比べたり、テストしたりという意味ではなく、
自分が、分からなければ飛ばせばいい、つまらなかったらやめればいい。
それだけなんだけど、わたしには苦しいときがあります。
この辺りは、書こうと思えば、しみったれたことがたくさん書けます(笑)。

でも、そういうことは、ひとまず胸におさめます。
シャドウイングが、こういう気持ちをいったん解放してくれたからです。
シャドウイングは意味を理解して繰り返すことじゃない、
ただ、聞こえるまま大きな声で真似をすればいい、と思うようになったからです。

だから、わたしのシャドウイングは、
自分は何を言っているか、ほとんどさっぱり分かっていません。

聞こえる、聞こえないも、
語として理解して聞こえる、聞こえないではなく、
音のまま聞こえる、聞こえないを指しています。

うまい例えが思いつかないけど、
シャドウイングをしていて「ふとーふくつのせいしんで」と聞こえれば、
そのまま「ふとーふくつのせいしんで」と繰り返しますが、
「このお相撲さんの口上いいわぁ」「不撓不屈って良い言葉」なんて感じてません。
内容が分かる、分からないで、シャドウイング音源を選ぶことはありません。
(↑こんなことしてたら音源が限られちゃってシャドウイングできないよ!)
そんな感じです。

こんな風に、わたしにとってシャドウイングには理解度なんて問題外だ!って
胸にストンとおちてきたら、シャドウイングが楽しくなってきました。
理解もできずに面白いのか?楽しいのか?と不思議な気持ちになりますが、
いまは、聞こえるまま、大きな声で真似をしていることが楽しいです。

そうしたら、シャドウイングをしている最中に「音」と「語」がスクランブルしてきたり、
なんとなく内容が気持ちに残っていたりすることが、あったりなかったりで、

なんだか禅問答みたい(笑)

コメントありがとう!

なるほど~~~~!私はまだちゃんとシャドウイングってできてないんですが、まず聞くだけでも「何言ってるんだか理解できん」というものが多くて悩んでいたんです。で、シャドウイングともなるとちゃんと本を見ながらテキストを追いながら理解して声を出さないといけないと思っていたのでなかなか踏み出せずにいたのです。まずは音を真似る、そう割り切ってしまえばいいんですね。なんだか私もストンとしてきました。あ、でもやっぱりテキストは見ながら?じゅんじゅんさんはいつもどうやっていますか?

■paoさん
>あ、でもやっぱりテキストは見ながら?じゅんじゅんさんはいつもどうやっていますか?

テキスト、スクリプトは一切見てません!(笑)
音源があるサイトに訪れた時は、片っ端からクリックして探検するのですが、
見つけてしまえばおしまいです。あとはブログに書くだけ(爆)。

本とセットの音源も、本を見返したり、見ながらということはないです。
テキストがない音源なんて、ほんと、自分が何を言っているのか分からないです。
シャドウイングしたあともテキストやサイトで確認しないです・・(爆)。

なんだか無茶苦茶ですが、それでも楽しくやっちゃえー!ってところには、
ちゃんと着地しているようです(笑)。

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